長崎の誇り、ジャパネットが過去最高売上2,950億円へ。カメラ店から始まった物語

勝手に合うイメージを制作しました。ロゴも本家のものを拝借しております。
長崎県民として、とても嬉しいニュースが飛び込んできました。ジャパネットホールディングス(佐世保市)の2025年12月期の売上高が、過去最高だった前年の2,725億円を上回る約2,950億円になる見込みだというのです。長崎新聞が12月22日に報じました。
ジャパネットの成長は本当に刺激になります。今日は、このニュースを機に、ジャパネットがどのように成長してきたのか、そして現在どう変化しているのかを振り返ってみたいと思います。
全ては1990年のラジオから始まった
ジャパネットの歴史は、1986年に遡ります。創業者の髙田明氏(現在77歳)が37歳の時、父親が経営するカメラ店から分離独立して、佐世保市で「株式会社たかた」を設立しました。当初は普通のカメラ店でした。
転機となったのは1990年。地元のラジオ局が企画した「街の店主に商品紹介をさせる」というラジオ番組に、髙田明氏が出演したんです。番組内でコンパクトカメラを紹介したところ、なんとたった5分で50台も売れた。これに驚いた髙田氏は、「これだ!」と確信し、全国のラジオ局に「ラジオショッピングをやらせてください」とお願いして回りました。約1年かけて全国のラジオ局とのネットワークを構築していったそうです。
そして1994年、「ジャパネットたかた テレビショッピング」がスタートします。この年の売上は43.1億円でした。
あの甲高い声、肥筑方言が全国に響いた
髙田明氏といえば、あの甲高い声と肥筑方言混じりの語り口を覚えている方も多いでしょう。「金利・手数料はジャパネット負担!」というフレーズは、一世を風靡しました。
髙田氏は単に商品を売るのではなく、「モノの向こうにある生活の変化を伝える」ことにこだわりました。お客様がその商品を使うことで、どんな風に生活が豊かになるのか。それを情熱を持って伝え続けたんです。
そしてジャパネットは自社スタジオを作り、番組制作を内製化しました。これにより、商品の変化に素早く対応できるようになり、スピード感のある通販番組を全国に発信できるようになったんです。佐世保にいながら全国にビジネスを展開する。これが、「地方発のビジネスモデル」として注目されました。
右肩上がりの成長、そして試練
ジャパネットは右肩上がりに成長を続け、2010年には過去最高の売上高1,789億円を記録します。この頃は、地デジ化に伴う液晶テレビの買い替え需要で、売上の6割をテレビが占めていました。
しかし、2011年度から2年連続で売上高が減少します。テレビの買い替え需要の反動でした。この状況に危機感を抱いた髙田明氏は、2013年を「覚悟の年」と位置付け、「過去最高益を出せなければ社長を退任する」と公言しました。そして、見事に過去最高益約150億円以上の経常利益を達成したんです。
2代目へのバトンタッチ。親子の「戦い」
2015年1月、髙田明氏は社長を退任します。後を継いだのは、長男の髙田旭人氏(当時35歳)でした。
旭人氏は東京大学を卒業後、野村證券に入社。「後々、父の跡を継ぐのであれば金融は勉強しておきたい」「厳しいところでみっちり勉強しよう」と考えての選択だったそうです。そして2004年にジャパネットに入社しました。
しかし、入社後は父との確執に悩みます。会議で何度もぶつかり、「こんなやり方じゃダメだ」「だったらお前が社長をやれ」という押し問答が繰り返されました。
旭人氏は後にこう振り返っています。「2代目は、『服従する』か、『戦う』か、『逃げる』かの3択だと思っていて、私は戦うことを選びました。自分がこの会社を背負おうとしたときに、自分が『正しい』と思うことを主張できなかったら、社員を不幸にすると思ったからです」
そして、父・明氏は、息子の覚悟を受け止め社長職を譲った後、会長にも残らず完全に引退しました。これは、事業承継では珍しいケースだそうです。
父と息子、経営スタイルの違い
2人の経営スタイルは、対照的でした。旭人氏は「父がひらめき天才型の長嶋茂雄タイプとすれば、僕は理詰めで考える野村克也タイプ」と表現しています。
明氏の時代は良くも悪くも一体感のある会社で、社長が絶対。管理職が少なく、明氏や旭氏(副社長時代)が複数の部署を兼務していました。
旭人氏は、これを変えました。「カリスマ経営者についていくだけの社員より、一人ひとりの社員が考え、自分の意思で動いたほうが何倍も成果が出る」という仮説のもと社員をどんどん管理職に登用し、任せる経営に転換していったんです。
そして、旭人氏はテレビには出演していません。父のようなカリスマ性で引っ張るのではなく、組織の力で成長する会社を目指したんです。
事業の多角化で成長を続ける
旭人氏が社長に就任した2015年、売上高は1,500億円規模でした。それが2025年には2,950億円(見込み)。約2倍に成長しています。
その背景には、事業の多角化があります。通販事業ではエアコンなどの主力商品が売り上げを伸ばしたほか、クルーズ船事業、ウォーターサーバー事業、食品分野(おせちは日本一の販売数と自負)など、事業の幅を広げてきました。
そして、長崎への地域貢献にも力を入れています。2017年からV・ファーレン長崎(サッカー)の経営に参画し、今年2025年には8年ぶりにJ1昇格を決めました。2020年には長崎ヴェルカ(バスケットボール)を立ち上げ、Bリーグに参入。2024年10月には「長崎スタジアムシティ」が開業しました。サッカースタジアムを中心とした、アリーナ・オフィス・商業施設・ホテルなどの複合施設です。
さらに、2025年1月にはBS放送局「BS10」を開局。放送事業にも進出しています。
佐世保を離れない選択
ジャパネットは、創業以来ずっと本社を佐世保市に置き続けています。売上高2,950億円の企業が、東京ではなく地方都市に本社を構え続けている。これは、地方におけるビジネスの一つの完成形だと言えます。
髙田明氏は「どうして佐世保を離れる必要があるのか?」と答えています。地方にいても、全国に、いや世界にビジネスを展開できる。それを証明し続けているんです。
2026年で創業40年
ジャパネットは、2026年で創業40年を迎えます。カメラ店から始まり、ラジオ通販、テレビ通販、そして今や通販だけでなく、クルーズ、スポーツ、地域創生、放送と、事業を広げ続けています。
髙田明氏が大切にしてきた「不易流行」という言葉があります。変わらない本質(不易)と、変わり続ける時勢(流行)の両方を捉えるべき、という考え方です。
お客様のために、社員のために、地域のために。この想いは変わらない。でも、時代に合わせて事業は変化させていく。それが、ジャパネットの強さなんだと思います。
私たちにとっての学び
同じ長崎で事業をする私達にとって、ジャパネットの存在は大きな励みです。地方にいても全国規模のビジネスができる。いや、地方にいるからこそできることもある。
そして、創業者から2代目へのバトンタッチ。これも、多くの中小企業が直面する課題です。ジャパネットの親子の「戦い」と、その先にある成長は、事業承継のヒントになると思います。
ジャパネットはこれからも長崎から日本を、そして世界を元気にしてくれるでしょう。同じ長崎の企業として、本当に誇らしいです!!!
私たちも頑張っていきたいと思います(^^)
