大阪・関西万博が閉会し、他の人とは違うショックを受けている私

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2025年10月13日、大阪・関西万博が閉会しました。

数日前、「万博はあと3日で終わります」というニュースを見て、私はものすごくショックを受けました。

行けなかった残念さより、衝撃だったこと

もちろん、結局行けなかったことは残念です。でも、それ以上にショックだったのは、別のことでした。

半年があっという間に過ぎていたという事実です。

長崎からは大阪は気軽に行ける距離ではないので、行くタイミングを見出すのが難しかったのですが、半年も開催されているし、人が落ち着いたタイミングの平日とかに行けたらいいなと思っていました。

それが…あっという間に終わっていた…_| ̄|○

つまり、そのぐらい自分の時間の経過、自分の生活の時間の経過が早くなっていたことに驚き、そしてショックを受けたのです。

よく聞く話ですよね。20代30代に比べてどんどん時間が経つのが早く感じるって。

ちょくちょくそのように感じることもありましたが、この万博の件でその加速感を圧倒的に感じてしまいました。

万博は184日間も開催されていた

大阪・関西万博は、2025年4月13日から10月13日まで、184日間開催されていました。

半年以上です。183日間開催された1970年の大阪万博とほぼ同じ期間です。

開催期間中、158の国・地域、7つの国際機関が参加し、約2,820万人の来場を想定していました。(実際は約2600万人の来場者だったとのこと。)夢洲という人工島を会場に、世界最大規模の木造建築「大屋根リング」を中心とした未来都市が出現していたのです。

はぁ〜行きたかった〜…

次の日本での開催は?

これが残念さを増幅させます。

日本で万博が開催されるのは、そう頻繁にあることではありません。前回は2005年の愛知万博(愛・地球博)。20年ぶりの日本開催だったんです。

国際博覧会は5年に1度、世界で1か所だけで開催される国際イベントです。次の2030年万博は、サウジアラビアの首都リヤドで開催されることが決まっています。

では、次に日本で開催されるのはいつか。

正直、分かりません。万博の開催地は各国の誘致活動によって決まります。2030年リヤド、その次の2035年、2040年…日本が立候補して、他国との競争に勝たなければ開催できません。

1970年の大阪万博から2005年の愛知万博まで35年かかりました。そこから今回の大阪・関西万博まで20年。

次はいつになるか、本当に分からないようです…

1970年の大阪万博を振り返る

前回の大阪万博を振り返ってみましょう。

1970年3月15日から9月13日まで183日間開催された日本万国博覧会。テーマは「人類の進歩と調和」でした。

77カ国が参加し、約6,422万人もの人が訪れました。これは2010年の上海万博に抜かれるまで、万博史上最多の記録でした。

あの「太陽の塔」は、今も万博記念公園のシンボルとして残っています。電気自動車、動く歩道、ワイヤレステレフォン。当時は未来の技術だったものが、今では私たちの生活に溶け込んでいます。

そして55年が経ち、2025年。同じ大阪の地で、再び万博が開催されました。

今回の万博で展示されていた「空飛ぶクルマ」や「自動運転EV」が、20年後、30年後には当たり前の光景になっているのかもしれません。

こうして振り返ると、やはり今回の万博に行っておきたかったなと強く思います。

「やりたいことは、今やる。」「行きたい場所には、今行く。」

これを実践したいものですね、現実は難しいと分かっていても人生は一度きりですから悔いなく生きたいものです(T T)

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この記事を書いた人
T.kawano

T.kawano

宮崎生まれ、宮崎&長崎育ち。長崎西高、長崎大学経済学部卒。
在学中からWeb業に従事して約20年。人生の半分以上をWebに注いできました。

デザインからライティング、撮影、プログラミングまでやっており、専門家としてセミナーをしたり、Webでお困りの方の相談にも乗ってきました。

「話す・作るWebディレクター」として活動中。
器用貧乏を逆手に取り、ITの力を活用して少数精鋭の組織で動いています。

三児と一猫の父。趣味は「お笑い」「アニメ(狭く深く)」「バドミントンとそれに必要なトレーニング」
「優しく」「仕事ができ」「面白い」人間を目指して日々精進中。