「写ルンです」が2026年の今、再び選ばれる理由:不便さが生む「記憶の解像度」

最新のスマートフォンを開けば、そこには人間の眼球の性能を遥かに超えた、高精細なレンズとAIによる補正機能が備わっています。夜景は昼間のように明るく映り、肌のくすみは瞬時に消し去られ、誰でも「失敗のない」写真を1日に何百枚でも撮ることができる。2026年、私たちは史上最も「美しく、簡単な」記録手段を手に入れました。

しかし、そんな時代の潮流に逆らうように、街中ではあの懐かしい「パキパキ」という音を響かせながら、緑色の小さなプラスチックの箱を構える若者たちの姿をよく見かけます。そう、富士フイルムのレンズ付きフィルム「写ルンです」です。

なぜ、40年も前に誕生したこの「不便な道具」が、デジタルネイティブ、あるいはAIネイティブと呼ばれる世代にこれほどまで支持されているのでしょうか。そこには、効率化を突き詰めた現代社会が置き去りにしてしまった、「心が動くための決定的な装置」が隠されていました。

「27枚」という限界が、風景を「体験」に変える

「写ルンです」を手にして最初に直面する不便さは、その圧倒的な「少なさ」です。標準的なモデルであれば、撮れるのはわずか27枚。スマートフォンの連写機能を使えば、わずか数秒で使い切ってしまう枚数です。

しかし、この「27枚しかない」という制約こそが写真という行為の価値を劇的に高めます。デジタルであれば「とりあえず撮っておこう」と無意識にシャッターを切る場面でも、残り枚数が表示された小窓を眺めると人は途端に慎重になります。

「この光は今しか撮れないのではないか」「この友達の笑顔は、今この瞬間だけのものだ」。 そうやって1枚の重みを感じながら被写体と向き合う時、人は単に「記録」しているのではなく、その空間を深く「体験」しています。27枚という限界が、私たちの集中力を研ぎ澄まし、結果としてその瞬間の記憶を脳裏に強く焼き付けるのです。不自由だからこそ、一瞬を大切にする。この逆説的な心理が、効率に慣れきった私たちの心を強く揺さぶります。

「パキパキ」という手応えと、身体性の回復

次に注目したいのは、あの独特な「巻き上げ操作」です。シャッターを切るたびに、指先でダイヤルをパキパキと回す。あのプラスチックが噛み合う感触と音は、デジタルデバイスの滑らかな画面操作とは対極にある「手応え」です。私も25年ほど前に使った以来手にしていませんが、あの感覚ははっきりと思い出すほど印象的で好きな感触でした。

心理学の観点から見れば、この巻き上げ操作は「儀式」としての役割を果たしています。次に撮るための準備を自分の手で行う。このわずかな手間が、自分とカメラ、そして被写体との間に確かな「関係性」を築きます。自分の身体を使って道具を動かしているという実感(身体性)は、そのまま「自分がその場に存在している」という充足感に繋がります。

スマートフォンのシャッター音は擬似的なものですが、「写ルンです」の音は物理的なメカニズムが動く音です。この「嘘のない手応え」が、すべてがデータ化され、実体を失いつつある現代において、強烈なリアリティとして若者たちの目に映っているのです。

さすがFUJIFILM…と唸らされる「魅せ方」の極意

このブームを支えているのは、単なる若者のノスタルジーだけではありません。メーカーである富士フイルムの、自社製品に対する「深い理解」と「圧倒的な魅せ方」が、人々の所有欲に火をつけています。

皆さんは、富士フイルムの「写ルンです」専用ページ(https://www.fujifilm.com/jp/ja/consumer/films/utsurundesu)をご覧になったことがありますか?最新のデジタル一眼レフや高額なレンズのように佇んでいるそのページは、まさに「さすが富士フイルム」と唸らされる美学に満ちています。

飾らない瞬間、なのに特別

このキャッチコピーも写ルンですの特徴を1行で伝えており、さすが

スペックや機能の羅列ではなく、「写ルンです」でしか撮れない少しザラついた、でも愛おしい日常の光景たち。プラスチックレンズ特有の、どこか夢の中のような曖昧な描写。それを富士フイルムは「欠点」としてではなく、唯一無二の「情緒」としてプレゼンテーションしています

素晴らしい…と思いつつも、個人的には「軽くてコンパクト」の軽くての部分には共感しますが、ポケットに入れているその写真は、「コンパクトと言えども、さすがにポケットが出っ張るよな…」と突っ込みたくはなりましたが、そんなことを感じさせない堂々たるアピールぶり。ポジティブに伝えるということをもちろん徹底しています。

あと、「ストラップ穴がついているので、お好きなストラップを付けることも可能。自分だけのアレンジを楽しめます。(専用付属品はございません)

のアピールには思わず笑ってしまいましたが、それですら「愛らしい存在」であるとも言えます。

写ルンですは完璧ではない、だから「できない部分を見るのではなく、できる部分を最大限に生かす」という私の好きな考え方を体現している商品と言ってもいいのかもしれません。

「現像するまで見られない」という空白が作る物語

「写ルンです」の不便さの極致は、撮ったその場で見られないことです。ピントが合っているか、変な顔をしていないか、そもそも指がレンズにかかっていないか。すべては「現像」というプロセスを経て、数日後に写真を受け取るまで分かりません。

この「結果を待つ空白の時間」こそが、実は最大のエンターテインメントになっています。今の私たちは、あらゆる欲望が即座に満たされることに慣れすぎています。検索すれば答えが出てくる、注文すれば明日届く。そのスピード感の中で失われてしまったのが、「期待を膨らませる楽しみ」です。

カメラ屋さんにフィルムを預け、引き換え券を握りしめて数日を過ごす。その間、私たちの頭の中では、撮った時の記憶が何度も反芻されます。そして、ようやく手にした写真が、もし少しボケていたとしても、それは「待った時間」という付加価値を含んだ世界に一つだけの物語になります。

こんなに語っていますが、私は高校時代に写ルンですで撮ったカメラをまだ現像せずに複数持っています。これは思い出をあえて形にせずにフィルムとして持っておくことの安心感…

と言いたい所ですが、ただの現像し忘れで現像のタイミングを失っているだけということは聞かなかったことにしてください。でもあの日にこんな風に撮った情景を実は脳内に留まったままでいます。ということは、写ルンですの役割は実はすでに果たしているのかもしれません。でもさっきも言いましたが、現像のタイミングを失っただけではあります。

「ノイズ」こそが人間らしさの証明

2026年の今、AI画像生成技術は驚異的な進化を遂げています。「美しい写真」を作るだけなら、もうカメラすら必要ないかもしれません。しかし、AIが生成する画像には「ノイズ」がありません。ここで言うノイズとは、単なる画質の粗さではなく、「そこに誰かがいて、不器用にシャッターを切った」という生々しい痕跡のことです。

フラッシュで白飛びした顔、逆光でシルエットになった風景。これらは技術的には「欠陥」ですが、感情的には「証拠」です。その場にいた人の体温や、震える手、高揚した気分が、その不完全な描写の中に凝縮されています。完璧なAI画像が溢れれば溢れるほど、私たちはこうした「人間臭いノイズ」に、本能的な安心感と愛着を覚えるようになるのです。

ビジネスへの示唆:サービスに「余白」をデザインする

この「写ルンです」の流行は、私たちビジネスに携わる者にとっても重要なヒントを提示しています。それは、「ユーザーの利便性を高めることだけが、エンゲージメントを高める道ではない」ということです。

富士フイルムが公式サイトで見せているように、製品の「制限」を「魅力」へと読み替える力。そして、あえてユーザーに手間をかけさせたり、想像力を働かせたりする「不便のデザイン」が、結果として顧客の記憶に深く刻まれるのです。

例えば、

  • すべての情報を一度に与えず、段階的に発見させる仕組み
  • あえて自動化せず、手仕事のプロセスをユーザーに体験してもらう機会
  • 即レスを美徳とせず、手紙のような「時間のラグ」を大切にするコミュニケーション

これらは一見、顧客満足度を下げるように思えます。しかし、そこを乗り越えた先にある愛着は、単なる便利なサービスに対する依存よりも、遥かに強固で、感情的な繋がりを生みます。

まとめ:心は「手間」をかけた場所に宿る

「写ルンです」が教えてくれるのは、私たちが本当に求めているのは「完璧な結果」だけではない、ということです。私たちは自分の手を動かし、時間をかけ、時には失敗もしながら、世界と関わっているという実感を求めています。

便利さは私たちを楽にしてくれますが、不便さは私たちを豊かにしてくれます。最短距離で手に入れたものは、最短距離で忘れてしまうかもしれない。けれど、不器用に遠回りをして手に入れたものは、一生消えない記憶の解像度となって、私たちの心に残り続けます

もし、あなたの日常がデジタルの滑らかさに塗りつぶされそうになっているなら、一度あの緑色のプラスチックの箱を手に取ってみてください。パキパキと音を立ててフィルムを巻くたび、あなたの周りの景色が、少しずつ、でも確実に、色鮮やかな「体験」へと変わっていくはずです。

人の心が動く理由は、いつだってその「ひと手間」の中に隠されているのだから(^^)

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この記事を書いた人
T.kawano

T.kawano

宮崎生まれ、宮崎&長崎育ち。長崎西高、長崎大学経済学部卒。
在学中からWeb業に従事して約20年。人生の半分以上をWebに注いできました。

デザインからライティング、撮影、プログラミングまでやっており、専門家としてセミナーをしたり、Webでお困りの方の相談にも乗ってきました。

「話す・作るWebディレクター」として活動中。
器用貧乏を逆手に取り、ITの力を活用して少数精鋭の組織で動いています。

三児と一猫の父。趣味は「お笑い」「アニメ(狭く深く)」「バドミントンとそれに必要なトレーニング」
「優しく」「仕事ができ」「面白い」人間を目指して日々精進中。